「時間がない」。・・・・なんて便利な言葉だろう。
「時間がないんです」「急いでるんです」こう言うと、相手は大抵こちらの要求に合わせてくれる。
人間誰しも
「待つこと」が嫌いだし、実際本当に事情があって急いでることもあるから、「時間がない」と伝えることで相手がスピーディに事を運んでくれたり便宜を図ってくれれば、こんなにありがたいことはない。それはみんな同じ。
けれども最近、「時間がない」と言う言葉を、まるで黄門様の印籠のように、まるで当然の権利のように使う人がいる。結構たくさんいる。かなりたくさんいる。
何か用事があって、あと1時間しかない、でもその1時間でなんとかこれをしたい、これを見たい、だからお願いできないか。そういう要求を出される。
気持ちはとてもよく分かるし、実際本当にタイトなスケジュールで動いている人は、どうしても時間が足りないに違いない。それはもちろんできるだけ希望に沿うようにしたいと思う。
でも時々、「時間がない」と言えば融通が利くと知っていて、わがままでそのセリフを言う人がいるのも事実なのだ。他の人たちがちゃんと手順を踏んで順番を待っているのに、それをすっ飛ばして「時間がない」から早くしてくれ、細かいことはいいから手短に簡単に済ませてくれ、急いでるんだから、とごり押ししてくる人がいる。
それは私にはただの「エゴ」にしか思えない。そういう人に限って、「時間がない」と言っていたのに、目的を果たすとやたらのんびりと好きなだけ居座ったりする。
そういう人は要するに、「時間がない」のではなくて、
「自分の思い通りに動きたい」、ただそれだけなんだと思う。自分の好きなペースで、好きなように動きたい、だから待たされたり面倒な手順を踏むのは馬鹿馬鹿しいからお断り、でも要求は絶対押し通す。そういう、究極の自己中人間が、世の中にはかなりたくさんいる。しかもいい年をした大人に多い。
最近、自分勝手で他人を思いやらない人が随分増えたような気がする。
もしかしたら私もどこかで、無意識のうちに人にそういう思いをさせてしまっているのかもしれないけれど。そういうエゴが前面に出た人とのささくれだったやり取りがあった日は、ドッと疲れてしまう。
でも。そういう出来事が重なった日でも、帰宅時にマンションのエレベーターで乗り合わせた人が感じの良い人で、下りる際に「おやすみなさい」とか「失礼します」とか小さく会釈してくれたりすると、それだけで心が柔らかくなるから不思議なのだ。
降りるときに開ボタンを押して他の人を先に降ろしてあげる気配りだとか、気遣いを籠めた些細な仕草や言動を示されただけで、心はほぐれる。たったそれだけのことなのに、そんな簡単なことなのに、ちゃんとできる人って意外と少なくて、そういう人たちと出会えると妙に嬉しい。
たぶん、そういう人は少しくらい待たされたとしても、イライラ怒りをぶつけたり、「時間がない」と威張ってエゴを押し通すようなわがままな態度は取らないだろうなと思う。優しい人は、ちゃんと相手の立場も考えて「待つ」ことができる人だと思うのだ。
「待てない」人は、優しさのない人だと私は思う。
余裕がなくなってせかせかしたとき、自分も「待てない」人間になっていないか、鏡を覗いて確かめよう。そんなふうに思う今日この頃。
☆仕事を通じて個人的に感じてることを思わず書いてしまいました。愚痴です、愚痴。許してけろ。