「ワンダーランド駅で NEXT STOP WONDERLAND」
1998年の作品。
雨の休日、どこにも出かけないと決めた日に、一人で部屋で映画をのんびり見たくなるときってありますよね。この映画は、そんなときに最適なムードの1本です。
ジャンルとしては、
グウィネス・パルトロウの「スライディング・ドア」とか、
マイケル・ウインターボトム監督の「ひかりのまち」なんかにちょっと似てるような気がするんですが、どうでしょうか。
恋人にふられて孤独感に苛まれる看護士の
エリン。海洋学者を目指し、大学で学ぶ傍ら水族館で働く
アラン。赤の他人のこの二人が、通勤に同じ列車を利用し、街のあちこちでニアミスを繰り返しながら、決して出会うことなくそれぞれの生活を送る様子が淡々と描かれていきます。
エリンは、失恋直後のシングル女性としての当たり前の喪失感と、
「一人でも楽しいわ」という見栄に揺れ動いています。
「私は平気、今のままでも十分楽しいもの」という顔を取り繕いながら、心では本当のパートナーを捜し求めるエリン。女性だったら誰もが少なからず共感を抱くはずです。(ホントに一人で平気になっちゃってる人も多いけど。誰の事かって?おほほほほ)
エリンの母親というのが、娘とは正反対のイケイケおばさんで、お年を召していながら恋を満喫しているゴージャスママ。ふがいない娘を心配したこのママが、娘の写真と恋人募集の記事を勝手に新聞に載せてしまったことから、エリンの元へは恋人に立候補したいという男性たちからひっきりなしに電話がかかってくるのです。
うらやましいかと思いきや、この男性たちが揃いも揃ってレベル低すぎ。(笑)みんな、
「恋人募集の記事なんて載せる女、簡単にひっかけて上手いことやってやろう」というスケベ心丸出しのダメ男くんオンパレードなのです。それに気付いたエリンが、一芝居打って彼らを出し抜くシーンは小気味いいのだけど、ふっと淋しそうに微笑む彼女の表情が印象的です。
「結局、本当に心が通じあう素敵な男性なんていないのかしら」とでもいうような、うつろな思いに諦めを浮かべる顔。
一方のアランは、もう中年と言ってもいいほどの年齢ながら、大学に通いなおして海洋学に心酔している貧乏青年。水族館の仕事もボランティアであって、収入を見込めるものではないのです。若い頃はそれなりに遊び、気楽な青春を送っていたらしいのだけど、ある年齢に達したとき、本当に自分の好きなことを仕事にしたいという夢に気付き、プライドも何も捨てて一から勉強しているひたむきで真面目な男です。そのうえ父親はドッグレースに夢中になって借金を重ね、そのとばっちりがアランにも降りかかってくる。出口のないフラストレーションに潰れそうになりながら、一人頑張るガッツのある男です。
映画を見てる側からすると、この二人が出会えばきっと恋におちて幸せになれるのは間違いないと思えるのに、運命の意地悪なのか、なかなか二人は出逢えない。それどころか、二人それぞれに、決してお似合いとは言えないフェロモン系の人物が言い寄ってきて、一度はその恋に身を投じそうにもなるのです。
こうやって客観的に見ていると、「あー、あなたにはその人は合わないからやめたほうがいいってばー!」と教えてあげたくなるほどその違いは明らかなんだけど、現実社会ではみんな同じようなことを繰り返してる気がします。私自身も含めて、みんな自分にはいまいち合わない不釣合いな人に心惹かれたり、実際つきあって苦労したり傷ついたり、本当は自分に合いそうな人なのに趣味じゃないからと突っぱねたり(笑)、そういう遠回りをしてる人のなんと多いことか。(う、自分で書いてて耳が痛い)
この映画を見てると、
「等身大の自分」という言葉を思い出します。「等身大」でいることの大切さ、難しさ、そして等身大だからこそ引き合う相手が必ずいるということ、それを忘れてラクな横道にそれてしまうと、おそらく後で傷つくのは自分自身だということが分かります。
エリンはボサノヴァがとても好きな女性で、ブラジルに憧れています。エリンに言い寄ってきたフェロモン男はブラジル人でボサノヴァをさりげなく口ずさむヤツ。淋しさを持て余していたエリンには、そういう偶然が「運命」に思えたのかも。
実際好きな映画や音楽、本、スポーツ、なんでもそうだけど、自分と趣味があう人に出会うと、男女関係なくなぜか運命的なものを感じることってありますよね。でも趣味が同じだから必ずしも本当に心が通じ合うかというと、それはちょっと違う。むしろ趣味は全然違うし、環境も違うのに、なぜか分かり合える相手というのもいますしね。
エリンが古本屋さんで買おうとした本をうっかり落としてしまい、拾い上げて本を閉じようとすると、店主が止めるシーンがあります。
「何も読まずに本を閉じたらいけない、どんな言葉でも心に訴えかけてくるはずだよ」、たしかそんなニュアンスの言葉を店主が言うのです。それでエリンはその場で開いていたページを見て、偶然目に入ったある一文を読み上げます。
「めまぐるしい世界からはるか遠く離れ、忙しさやむなしい快楽を忘れ去る。孤独とはなんと優雅でおだやかだろう」
詩人ワーズワースの言葉だそうです。マイナスの意味合いが浮かびがちな「孤独」という言葉が、まったく違った色合いを帯びてきますよね。一人旅のときの心情にちょっと似てるかな。心に残ったシーンです。
全編にボサノヴァが心地良く流れ、なんともオシャレな大人のムード漂う、それでいて気取りのまったくない素朴なテイストの作品です。ボサノヴァっていうと、私には苦い思い出があります。10代の頃イヤイヤ習っていたエレクトーンで、ボサノヴァの「WAVE」という有名な曲を課題曲として弾かされたのですが、ボサノヴァなんてジャンルも知らない、聴いたこともなかったのです。ただ楽譜を追いかけながら必死で弾くんだけど、私の下手さに先生がヒステリックに怒り続けていた記憶があります。今思い出しても憎らしいわ。
そもそもボサノヴァなんて知りもしないコドモに弾かせること自体、無理があると思うんですけどねー。先生のお手本演奏だけでは雰囲気もつかめないし、そんなことよりボサノヴァの録音されたカセットテープの1本でももらって、耳と体で覚えたほうが余程理解できたんじゃないかと今更思います。そんなわけで、若かりし頃の私はボサノヴァが大っ嫌いでした。(笑)今なら分かりますよ!ボサノヴァの気だるいリズムとそのオシャレな心地良さが。そう思うと、もったいなかった気がします。
映画のヒロイン、エリンを演じたのは
ホープ・デイヴィス。
「隣人は静かに笑う」という後味の悪~い映画で
ジェフ・ブリッジスの恋人役をやってた人です。そこそこキレイだけど、とりたてて目立つタイプじゃないところが、この「ワンダーランド駅で」には非常に合ってると思います。いかにもすぐ隣りの街で起こってる出来事を見せられているような、いい意味での普通さを感じさせてくれるんですよね。
アラン役の
アラン・ゲルファントは、はっきり言ってハンサムではありません。でも雰囲気のいい人です。ある程度年齢を重ねた大人の女性だったら、こういう人に「男らしさ」を感じるんじゃないかな~と思います。安心できるタイプというか。
あと、エリンをふってしまう元恋人役が
フィリップ・シーモア・ホフマン!コヤツが胡散臭いいわゆる「活動家」で、どこかで市民運動なんかが起こると駆けつけて先頭きって反対運動とかやって騒ぎ立てる、善良なのか迷惑なのか分からない怪しい男です。出番は少ないながら、ホフマンが演じてくれて嬉しい気がしました。(笑)
映像が手持ちカメラを多用しているので、この手の映画が苦手!って人も多いかもしれませんが、肩の力を抜いて一人でひっそりのんびり見るのになかなかGOODな良品だと思います。サンダンス映画祭で非常に好評だった作品だそうです。
ちょっと孤独感を感じて、「淋しいなぁ・・・」とへこみ気味の時に見ることをオススメします。ほんわかした幸せな気分になれるかも!