「バタフライ・エフェクト」。
映画史上最も切ないハッピーエンドという売り文句で評判になった作品だ。
正直ハッピーエンドという言葉が辛くなるほど、かなりヘヴィーな展開。たしかにハッピーエンドかもしれないけれど、辛口ドライ。辛くてちょっと涙がぴりぴりくる感じ。好きな映画なんだけど、見終わった後なんともいえない気分に堕ちていく、そんな作品。
幼い頃から、断片的に記憶を失う症状に悩む
エヴァン(アシュトン・カッチャー)。
彼は、自分がかつての約束を守らなかったことが原因で、初恋の人
ケイリー(エイミー・スマート)を不幸に追いやってしまう。日記を読むと過去へタイムスリップできることに気づいたエヴァンは、子供時代に戻って過去を書き換え、なんとかケイリーを救おうと試みるのだが・・・・。
ほんの些細な一言、ちょっとした行動ひとつで、一人一人の後の人生が大きく変化し、人格さえも変えてしまうという恐ろしさ。愛する人を幸せにしたいと思えば別の誰かが不幸になる、みんなを救おうとすると自分が不幸を背負うことになる。抜け道のない迷路のような過去を何度も行き来して、自分の存在そのものを追い詰めていく主人公エヴァン。
さすがにあれほど評判になった作品だけあって、とにかくアイデアが面白い。6年かけて練られたという脚本も秀逸だと思う。(深く考えるとわけわかんなくなるところもあるが、タイムトラベルものは深く考えてはいけない)
エヴァンが過去に戻ってちょっと言動を変えるだけで、その後のケイリーの人生が激変してしまう驚き。華やかな女子大生からジャンキーの売春婦まで、とても同じ女の子の行く末とは思えないほどの違いが出るのだ。(エヴァン自身も、境遇やファッションまで結構変化します)
私は人の運命というのは周囲からの影響だけでなく、やはり本人の持つ性質、個性、精神力などによって決まっていくと思っているので、この映画に描かれていることを鵜呑みにするつもりはない。それでも、この映画のように、後のトラウマになってしまうような特異な(悲惨な)状況下にある子供たちだったら、ちょっとした道筋を示してやるかやらないかで、その後の人生が大きく分かれてしまうことは十分有り得るような気がした。
そしてエヴァンがなぜあれほど何度も何度も過去を書き換えケイリー(と自分)を救おうと必死になるのかといえば、彼女への純粋な愛情はもちろんだが、彼自身の罪の意識を和らげたい思いもあったと思う。だってあのままでは、彼は自分が彼女との約束を守らなかったために起こってしまった残酷な現実を、一生背負って生きていかなければならないから。
過去をどう書き換えても、一瞬幸福が訪れたように思えても、結局運命の大きな流れは変えることができない。どこかに必ず不幸が顔を出す。愛し合おうとすればするほど不幸を招いてしまう。それがエヴァンとケイリーの避けられない運命なのだとしたら?
最後にエヴァンが選んだ道は、まさに
「自己犠牲」。ああいう形で彼女を守ったのは、彼なりの究極の愛。あれしか道はなかったのかもしれない。そもそも一度は起こってしまった不幸な出来事を覆そうと過去を書き換えること自体、神様の領域に挑戦する許されない行為なのだから。そう分かっていても、エヴァンの自分を犠牲にした心を思うと、たまらなくなる。
あの選択をしたことで、エヴァンも自分自身を解放したことになる。ケイリーへの愛情と執着を、ああいう形で昇華させたかったのかもしれない。でも辛い。私がエヴァンだったら、果たしてできるだろうか?
ラストシーンは予告映像でネタバレだとあちこちで指摘されていたけれど、たしかにその通り(笑)。ただ、私はさほど気にならなかった。実際あの映像を見てこの映画に興味を持ったし、「ああ、それでこのシーンに繋がるのか」と思って納得できたからだ。
この最後のシーンこそ「映画史上最も切ないハッピーエンド」。・・・・そう言うかぁぁ。ハッピーエンドね・・・。それはちょっと、心が痛むなぁ、私は。
でも苦しくて美しいエンディングだ。エヴァンの表情に、唇を噛むようなせつなさを感じて泣けてしまった。(
OASISの曲がまた非常にマッチしていて良いです!)
でもこのラストシーンってせつないけど、見方によっては
「新たな希望」ともとれる気がするんだけど、どうだろう。神様からのプレゼントに見えなくもないあの偶然。時が流れたあとに、あんな運命の偶然があったのだから、また未来に同じような偶然がやってくるかもしれないじゃない。そのときは、過去なんてもうどうでもいいから、二人で新しい未来を作り直してみたら?もう十分苦しんだのだから、生まれ変わったつもりで。
・・・・そうであってほしい。そういう願いを抱いた私は、ちょっと楽観的すぎるかな。
デミ・ムーアのツバメ(古い・・・)というイメージしかなかったアシュトン・カッチャー、見直しました。良かったです。それに元モデルだけあって、やはりスクリーン映えする容姿。でも
イーサン・ホークあたりが演じたら、多分もっとせつない映画になってそうだわ。
相手役のエイミー・スマートは、私はわりと好きなタイプ。ちょっと
ケイト・モスに似てる。ラストシーンの白いスーツ姿なんて、まんま「カルバン・クラインの広告?」って感じ。(笑)正直、ヒロイン役にはもう少し華のある美人のほうがいいんじゃないかと最初は思った。でも、見てるうちに、同じ役柄なのに何通りもの人生を表現しなければならないケイリー役には、むしろ彼女のように、そこそこ可愛いけど美人すぎない、色味の少ない女優のほうが、どうにでも化けることができていいのかもと思った。ざっと数えて4、5変化の熱演ぶり。でもやっぱりラストシーンが一番美しかった。
あと個人的にはケイリーの兄の
トミーの変化が一番ツボだった。あんた極端すぎだって!!(笑)
でもまあ実際、どんな人達とつきあい、どんな経験をするかで、人間の生き方から容姿まで、相当変わる可能性ってあるのかも。そう考えると、やっぱりちょっと、いやかなり怖い映画だ。
私もちょっと自分の過去を振り返ってみたけど、もしも第一希望の短大ではなく第二希望のほうへ進学していたら・・・
交友関係から自分のキャラ、その後の就職先までかなり違ってた気がする。そう考えると、人生の節目節目の選択って本当に重いんだな、って改めて感じる。ていうかコワイぞ。
そうそう、
エリック・ストルツが出てきて「あらお久しぶりね♪」と思った途端、あんな役でした。昔馴染みの俳優さんが思いがけずこの手の映画に出てくると、ちょっと嬉しいけど、あんな役でした。(泣)
追記:DVD特典映像のラストシーン別バージョン、
「ストーカー」編。こういう
「どうしても同じ過ちを繰り返してしまう悲しい人間の性」みたいなパターンも個人的には嫌いじゃないんだけど、映画としてはこれじゃ台無しになっちゃうから却下なんでしょうね。私は嫌いじゃないんだけどね。(笑)
もうひとつの
「ハッピーエンド」編は、あまりにセリフが陳腐。そりゃそうなってほしいけど、ダサいよそれ。ギャグかと思った。なので却下。
で!
噂のディレクターズカット版。劇場公開オリジナルよりもっともっとせつないというエンディングですね。これも見ましたよ。
私の正直な感想をあえて書こうと思うので、興味ある方だけどうぞ。(かなりネタバレです。しかも結構乱暴。↓)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ディレクターズカット版のエンディング。あえて言います。私は好きではありません。
単純に過去を書き換えるというだけでなく、エヴァンは自らの存在そのものに手を加えてしまう。確かに
究極の自己犠牲であり、話は壮大になり、その悲痛な決断には胸を打たれる。でもこのエンディングを劇場で見せられたら、ちょっと怒ったかも私。
監督が作り手として、ここまで壮大なものを見せたくなる気持ちも分かるよ。でも私は
「自分さえいなかったらみんな幸せになる」という発想にはどうしても同意できない。それは先日見た
「素晴らしき哉、人生!」のテーマと正反対のもの。どんな人でもこの世に生まれた意味というものがあるはずなのに、それを自ら否定してしまうエンディングは、たとえそれが他人を思いやる善意からであっても、やっぱり同意できない。理解はできるけど。せつないのも分かるけど。
それに、このエンディングにしてしまうと、大風呂敷を広げすぎて、本来のこの映画のテーマ
「初恋の女性をなんとか守りたい」というシンプルなラブストーリーから、ちょっとピントがズレてしまう印象が残るんですよ。結果的に彼女を守ることになってるんだけど、かえってストーリーの印象が散漫になる気がする。私だけかしら。
実際、ディレクターズカット版を見たあと、納得できなくてもう一回劇場公開版のラストを見直してみたんだけど、やっぱり劇場版のほうが私は泣けましたね。テーマが一貫してる感じだし、やっぱりこの二人のラブストーリーとしてはあのエンディングで正解だと思う。大体、ディレクターズカット版だと、このシーン自体がまるまるカットされて、OASIS の曲が流れないのよ。私が最初に予告で心惹かれた肝心な画が出てこない映画なんて絶対イヤですねー。ここのエヴァンの表情が何よりせつないんだから!!
ってなわけで、私は断固劇場公開版を支持します。