やっとやっと、ゆっくり家にいられる休日がやってきた・・・。長かった・・・。
風邪っぴきなので昼過ぎにモソモソと起きだし、朝昼兼用の納豆ご飯をモグモグと食べ、マスク着用でケホケホしながらテレビの前へ。WOWOWで録画しておいた
メグ・ライアンの
「イン・ザ・カット」をようやく見た。ウイルスでやられた私の頭に、
メグのヌードと
いまいちの評判ばかりが話題になった、
R15指定映画はいかに映るのか?!
まずはじめに断っておくのは、病人なので(熱はないよ)頭がクリアーではなく、集中力も欠けていた状態での鑑賞だったこと。なので、映画にどうしても没頭できなかったのは事実。ですが、それを差し引いても、やっぱり
「いまいち」感がぬぐえない作品だったのは否定できない。
大学で文学を教える30代独身女性、
フラニー。ぱつんと切りそろえた少女のようなおかっぱ頭に、第一ボタンまで留めた冴えないファッションとメガネ。セクシュアルなムードとはおよそ無縁そうな堅物の女性を、メグ・ライアンがいつもの「元気キュート」を押入れにしまいこんで、頑張って演じている。当初
ニコール・キッドマンが演じるはずだったこの役を、メグが熱望し、その熱意に心打たれたキッドマンが役を譲ってプロデュースに回ったそうだけど、なるほど、キッドマンが演じていたら、もっと「いかにも」だったかもしれない。ていうか、たぶん同じ
ジェーン・カンピオン監督の
「ある貴婦人の肖像」みたいになったのかな。私あの映画、わけわかんなかったんだけど。
メグは
ラッセル・クロウと共演した
「プルーフ・オブ・ライフ」で、
「シリアスにやればやるほどハズす女優」として私の中にインプットされ、
「永遠にラブコメの女王でいいじゃない、メグちゃん!何が不満なのよアナタ!」と思っていたのだけど、今回はなかなかどうして、新しい一面が引き出されていたような気がする。
大胆な濡れ場(ってあえて言わせてもらおう。濡れ場。ほほほ)にも挑戦し、猟奇的なシーンにも物怖じしない今回のメグに対して、世間の評価はあまりに低かったようだけれど、私は結構良かったと思う。むしろもっと前から、こういうインディペンデントな匂いのする映画に出ても良かったのかもしれない。
主人公に共感するかと言われるとちょっと難しいところだけれど、一見、マジメでストイックなインテリ女でありながら、メグの童顔がかえって、固い貝殻のような少女性を生み出していて、中年の孤独な女のはずなのに、どこかいたいけな雰囲気すら漂うのだ。キッドマンだとこういう雰囲気にはならなかったはず。
ただ、猟奇殺人の謎解きも絡めつつ、刑事との刺激的な性愛によって自らの欲望を解放していく女の物語、っていうことでいいのかな?と思いつつ、それもなんか違う気がするし、じゃあ監督のメッセージってなんだったんだろ?と思い巡らしてみても、「これ!」という答えが出てこない。これは私に読解力がないからなのかもしれないけど。
メグ演じるフラニーは、「セクシー」から一番遠いイメージの女性を演じていながら、その描写がどうも中途半端なので、情事に溺れていく女性という設定にもいまいち説得力が出ないのだ。お堅い女が実は性的妄想を人一倍強くもっていて、それを野性的な男によって花開かれ・・・ってなんかエロ小説みたいだけど、まあそういうのって永遠のテーマだと思うのよ、小説でも映画でも。
でもここでのフラニーは、堅い殻にこもって本当の欲望を押し隠して・・・っていう感じがそれほどしない。だって刑事に誘われてもさして拒む様子も見せず、わざわざ妹にセクシーなドレスを借りて出かけていくのだ。彼女を抑圧する「覆い」は薄皮のようなもので、案外簡単にはがれてしまうものにしか見えない。実際、「女度」が低いわりに、彼女に関心を示す男はチラホラ現れるし、彼女自身、どこかに隙のある女性という感じもするので、映画的に「意外性」があまり感じられないのだ。
ようするにフラニーの心の闇だとか、性的幻想とか、トラウマとかがいまいち具体性に欠ける上に、それを強引に引き剥がして彼女を解き放つほどのセクシュアルな衝撃というものが、映画からも相手の男優(
マーク・ラファロ。
「死ぬまでにしたい10のこと」では良かったわ)からも、どうもダイレクトに伝わってこないのだ。そしてフラニー自身がいったい何に背を向けているのか、これまでの人生、それほど頑なに生きてきた理由というものがなんなのか、どうもいまいち分かりにくい。そこが残念。
でも映画の雰囲気は私は結構好きだ。ひなびた色合いの、やわらかいのにザラザラした孤独感をあおる映像とか、インテリアのセンスとか(なぜか部屋の天井からぶら下がるモビールが、日本の?古銭だ!)、メグの、やっぱりいくつになっても可愛さの抜けない風貌とか、それが醸し出す妙に淋しげなコケティッシュさとか。
独特な味わいが確かにあり、消して嫌いではない作品と言える。こういう言い方は失礼かもしれないけど、同じテーマをもし男性の監督が演出していたら、たぶんもっとテイストが違う、良くも悪くも俗っぽい作風に仕上がっていたのではないかしら。
「官能サスペンス!」とか言って。それはそれで面白そうか。
エイドリアン・ライン監督とかどうですかね。
メグの妹で、恋愛依存症のちょっと崩れかけた女の役が、
ジェニファー・ジェイソン・リー。
この人はやっぱりこういう役は上手いね。なんたって、彼女の
ブラのライン、すごいわ。あの崩れ方、すごいリアルで物悲しくて、それだけでせつないってものです。
映画の冒頭、花吹雪の中を夢見がちに歩く彼女のシーンがとても綺麗で、印象的。
この人って、結構ドスコイな体型で汚れ役も多いのに、なぜか儚げで薄幸な雰囲気があるよね。
それからなんでこんな特別出演やってるの?と突っ込まずにいられない
ケビン・ベーコン。
犬を連れた怪しい変人ストーカーを演じていて、物語に絡んでるのか絡んでないのか、ほんとよくわかんない。ベーコン好きの私にはちょっと複雑なところではあるが、まあいいや、かっこいいから。(かっこいいか?!)
ジェーン・カンピオン監督は
「ピアノ・レッスン」が大好きな私。女性独自の視点で「性」というものを生々しく描くのが得意な人だけど、どうも「ピアノ・レッスン」が頂点だったのかな、その後はちょっと・・・と思わずにいられない。今回も、主人公が心に蓋をしつつ意識せずにいられない性的衝動を表すのに、露骨な性描写を覗き見るシーンなど、ありきたりすぎてちょっとお粗末な感じがしなくもないのだ。そのへん、女性監督ならではの、もっとひねりのある演出をしてもらえたらよかったのになぁ。
というわけで、風邪っぴきでいまいち読み取りの浅かった今日のワタクシ、偉そうにいろいろ語ってますが、この映画、「いまいち」なのに憎めません。もしかしたら好きな部類に入るかもしれない。たぶん女なら誰しも(男性でも?)、フラニーのような矛盾する衝動や抑圧を抱えながら、仮面をかぶって生活しているような気がするから。そして誰かにそれを見抜いて破ってほしいと、潜在的に願っていたりしませんか?え?しない?
それと最後にやっぱり思いましたです。「女は素直に可愛いほうがいいね」、と。