「恋におちて Falling in Love」 1984年の作品。
「ダイヤル~まわして~手をとめた~♪アイムジャスタウォーマ~ン♪は~あ~フォーリンラ~ブ♪」・・・覚えていますか?
「金妻」。20年も前に、世の奥様やOLたちを夢中にさせたドラマ、
「金曜日の妻たちへ パートⅢ 恋におちて」。うちの母も一生懸命見てました。その横で、中学生の私もチラチラ覗き見ておりました。知ってます?
篠ひろ子が
いしだあゆみの顔を、バラの花束で殴るのよ~!はー、すごいわすごいわ、オトナの修羅場って!
で、その「金妻」が流行っていたときに、相乗効果というかリンクというか便乗というか、併せて宣伝されていたのが、大御所
ロバート・デニーロと
メリル・ストリープ主演の映画
「恋におちて」だった。(もちろんこっちのが大元です。アメリカでは84年公開だけど、日本ではこのドラマと同じく85年公開だったはず)
当時は私もまだデニーロやメリルのことなんて知らなくて、
「なんかおじさんとおばさんが不倫をする映画らしい」という知識だけしかなかった。その数年後、高校生のときにテレビでこの映画が吹き替えで放映され(もちろんカットされまくり)、大雑把に見たのが最初だった。
大人になって(それもつい最近)、BSで放送されていたのをビデオに録って改めて見直してみたら、これがまた
珠玉の恋愛映画で、いたく感動してしまった。30代の今、やっとこの映画が描いている世界が理解できるようになったというわけです。しみじみ。で、今回あえて古すぎるのを承知で取り上げてみました。堂々ネタバレしてます。未見の方、お許しください。
ストーリーはとてもシンプルで、家庭を持つ男と女が偶然の重なりから親しくなり、はじめは気の合う異性の友人というスタンスながら、いつしか愛し合うようになり、葛藤し、という不倫の王道を行くお話。主演2人の他にも、デニーロの友人役(愛人に結婚を迫られ、妻とは離婚調停中)に
ハーヴェイ・カイテル、メリルの友人役(ボーイフレンドとのアバンチュールに忙しい!キャリアウーマン)に
ダイアン・ウィーストが出演している。また、ピアノを使った音楽が印象的だなぁと思ったら、私の大好きな映画
「恋のゆくえ ファビュラスベイカーボーイズ」の
デイブ・グルーシンが音楽を担当していた!
この映画の何が素晴らしいかというと、まず舞台が
80年代のニューヨークだということ。あの頃のニューヨークというのは文字通り
「カッコイイ都会」そのもののイメージがあった。ニューヨークがすべてのトレンドの最先端を行き、とりあえずニューヨークに行けば夢が叶うらしいという幻想を皆が抱き、一方で恐ろしい犯罪都市という顔も持ち、日本人はニューヨークにひたすら畏敬の念を抱いていたのではないか?!(大袈裟?)今では(特に9.11以降)もう誰もニューヨークに対してそんな幻想は抱かないだろうし、実際、東京とニューヨーク、どちらが進んでいるか分からないくらいだ。けれども80年代という時代には、たしかにニューヨークに暮らす人々の生活は、私たちには眩しくてお洒落で真似っこしたい世界そのものだった(たぶん)。ちなみに私も10年以上前に一度だけニューヨークに行ったことがあります。滞在中ひたすら緊張してた思い出があるわ。
フランク(デニーロ)と
モリー(メリル)が最初に出会う場所は、ニューヨークの
ブックストア「Rizzoli」。家族へのクリスマスプレゼントを山ほど買い込んだ2人が、ここで荷物を取り違えるのが出逢いの発端。その3ヶ月後に偶然通勤電車の中で2人は再会するのだけれど、このへんの描写がとても自然で上手い。というか2大名優のさすがの演技が上手いというか。
相手の顔をチラチラ見て、「あれ、あの人どっかで会ったような・・・どこだっけ??」という表情がリアル。気さくに話しかけるフランクと、それに応じつつも夫以外の男性と親しくなることへの警戒心を隠し切れないメリルがまたリアル。警戒しつつも次に会う約束をしてしまい、その後で嬉しいような戸惑うような微妙な顔で呆けているメリルがまたまたリアル。
そうなんですね。この映画は、主演2人の自然な演技がとにかく光っているのです。私はメリル・ストリープという人は実はあまり好きではないのだけれど(顔がコワイ)、ここでのメリルははっきり言って美しいです。それは顔の造作ではなくて、恥じらい惑い、恐れつつ、恋をする喜びを抑え切れない少女のようなみずみずしく透明な色香が匂い立つから。デニーロもしかり。こういうとき、女より男のほうが押せ押せになるのはまあ普通のことだろうけど、それがいやらしくないのだ。好きな女の子になんとか近づきたい不器用な少年となんら変わらない。この映画を見て分かったことは、
「恋」というのは何歳になろうと、男女を少年少女にしてしまうということです。いいねいいねー。
モリーがフランクに公衆電話から電話して、ランチに誘うシーン。電話を切った後、モリーは思わず手のひらで口元を覆うのだけど、あの
「嬉しくて顔がにやけてしまうのをなんとか隠そうとしつつうまくいかない」感じが非常によく表れていて(誰でも経験ありますね)、見てる私もにやけてしまったわ。ここのモリー、いやメリルは正直可愛いです。
フランクは通勤、モリーは入院している父の見舞いのために、朝や夕方、同じ電車に乗り合わせ、「友人」として親しくなっていく。でもお互いの中で相手への気持ちはどんどん育っていってしまい、当然家庭を持つ身同士なので、先へ進みたいけど進めない、ジレンマに苦しむようになるわけです。そんな2人が「友人」の領域を踏み出すきっかけとなったのが、夕方同じ列車に乗るつもりだったのに、仕事の都合でフランクが遅れてしまうというアクシデント。もうとっくにモリーは行ってしまっただろうとフランクが落胆していると、自分を呼ぶモリーの声が後ろから聞こえる。彼女はずっと彼を駅で待っていたんですね。その姿を見た瞬間、フランクは思いを抑え切れなくなってしまう。(そりゃそうでしょう)その後のキスシーンは、はっきり言って名シーンです!泣けます!涙ツツーです!(あ、私だけ?)
友人(ハーヴェイ・カイテル)の留守宅を借りて逢引するものの、どうしても一線を越えられない2人。本気だからこそ安易に関係をもてない、「本物の恋」になってしまったから。フランクが妻に懺悔するシーンで
「彼女とは何もなかった」と言うと、妻が
「そのほうがもっと罪深いわ」と怒る有名なシーンは、やはりある程度年齢を重ねないと理解できない心理かもしれない。(少なくとも女子高生だった私には「???」だったわ)
そして逢引の帰りの列車から名残惜しそうに降りたフランクが、駅のホームに妻と子供たちが迎えに来ているのを見て、すぐに「父親」の顔になり楽しげに去っていく後姿。それを列車の窓から見つめるモリーの表情が、とてもせつない。モリーには子供はいなく(生まれて5日で死んでしまった)、夫と二人暮し、そして父親は入院中であまり容態がよくない。フランクよりモリーのほうが、より心は孤独と言えるので、ここの淋しげな表情はとても痛々しい。
別れを決意したあと、転勤のため一人ヒューストンに旅立つフランク。最後に一目会おうとモリーが雨の夜道を車を飛ばすシーンがあるけれど、あそこは「金妻」で思いっきりパクってたような記憶がある。(いしだあゆみが同じシチュエーションで演じてたような。もう少し工夫してくれたまえ。)ちなみにフランクに会いに行こうとするモリーを旦那が止めるシーンで、旦那の「怖さ」が初めて(いきなり)分かる。今までなーんにも気付いてないような、静かなインテリって感じだった旦那が、実は全部分かってて、冷酷に妻を止めるんだから、いやー身の毛もよだつってこのことね。でも映画の前半部分で既に、この旦那とモリーが一見仲良さげに見えるものの、実はそれほど心が通っていないのは分かるのだけれどね。
「こんな偶然あるわけないじゃーん」と思ってしまうシニカルな人には、向かない映画かもしれない。でも、運命ってきっとある、と思える人には、この上なくロマンチックな作品です。
物語の終盤、月日が流れ、またクリスマスシーズンが巡ってくる。そこで神様はまた2人をブックストアRizzoliで偶然引き合わせるんですね。そこからラストへの流れは実際に見て味わってほしい。素直にドキドキします。見終わった後、思わず「ほぉぉ~~~っ・・・・」と甘いため息をついてしまうこと請け合い。いわゆる「不倫」を描きながら、ここまで清らかで静かな感動を与えてくれる恋愛映画はなかなかないと思います。大人は必見!