「ヘヴン Heaven」 2002年の作品
教師の
フィリッパ(ケイト・ブランシェット)は夫や教え子を死に追いやった男に復讐するため、オフィスに爆弾をしかけるが、手違いから無関係の4人の命が奪われてしまう。取調べの最中にその事実を知らされたフィリッパは、ショックと絶望のあまり気絶してしまう。そのとき倒れた彼女の手を握り付き添ったのが、若き刑務官の
フィリッポ(ジョヴァンニ・リビージ)。彼は犯罪者であるフィリッパに運命を感じ、恋におちる。彼女のために、フィリッポは逃亡の手助けを決意するが・・・。
覚悟の上で罪を犯したものの、運命のいたずらで、思いがけずに関係のない人々を巻き添えにし、殺人者となった女。その女への愚直なほどまっすぐな愛情ゆえ、彼女の共犯者にまでなり、一緒に逃亡する道を選ぶ青年。こう書くと、随分とスキャンダラスなイメージが浮かぶが、この映画はどこまでも静謐で透明で崇高で、ひどく純粋だ。
音楽もセリフも極力抑制し、美しいトスカーナの風景や主演二人の殉教者のようなたたずまい、澄んだ眼差しが、物語を静かに紡いでゆく。
ケイト・ブランシェットは相変わらず聡明な美しさと、大袈裟でない演技で惹きつける。最初は復讐心でいっぱいのため、顔つきも厳しく、柔らかみのない表情なのだが、フィリッポとふたり逃避行を続けるうちに、その表情はどんどん研ぎ澄まされ、透明になっていく。一切の欲も怒りも脱ぎ捨てて、フィリッポの静かな優しさと愛を傍らに感じ、彼女は宗教画に描かれる天使のような顔になっていくのだ。
そして何よりこの映画で素晴らしいのは、フィリッポを演じたジョヴァンニ・リビージだ。この人は
「ギフト」でケイト・ブランシェットと共演したときは、トラウマを抱え心を病んだ町の変わり者を怪演していて、私は
「第2のスティーブ・ブシェーミが現れた!」と思ったものだったが(しかも最後は大いに泣かせる!)、「ヘヴン」では一転、まるで別人かと思うほどの変貌ぶりだった。まだ少年ぽさの抜けない、無垢でひたむきな瞳。穏やかだけれど、内に思慮深さを秘めたような、静かで情熱的な青年を、心が洗われるように演じていた。彼がケイト(フィリッパ)を見つめる視線は、あまりにイノセントで清らかに愛情深くて、見ていて胸がつまりそうになる。ここまで見返りを期待せず、ひたむきに人を愛することができるなんてひとつの奇跡だ。
逃避行の途中、二人を訪ねてきたフィリッポの父が、フィリッパに
「息子はあなたを愛している。あなたは?」と問いかけるシーンがある。フィリッパはしばらく沈黙し、なかなか答えない。それはおそらく気持ちに迷いがあるからではなく、自分の答えによって、フィリッポの人生が決まってしまう重みを感じて、すぐには答えられなかったのだと私は思う。そして彼女の答えを黙って待っている間の、俯き気味のフィリッポの顔。このときのジョヴァンニは、せつないほどいじらしい!(「ジョヴァンニ・リビージ」と書いて「イノセント」とフリガナをふりたいくらいだ。)
このシーンは、フィリッポの父親が非常にいい。今まで大事に育て、期待通りにレールを走っていたはずの息子が、愛のために転落の道を辿ることを、この父親は決して責めない。おまえらしいと認め、ただ、こういう大切なときに何もできない自分の無力さを嘆くのだ。
この映画は、当時ケイト・ブランシェットが役作りで坊主頭になったことが話題に上っていた。主人公二人が剃髪し、白いTシャツにジーンズ姿で双子の兄弟のようになって寄り添って歩く姿は、傍目には異様に映るが、二人にとってはきっとごく自然な流れだったのだろう。そして最後の晩餐の後、結ばれるシルエットは、まるで何かの儀式のように神々しくさえ見える。
予告編や宣伝用の写真を見ると、当初は二人のラブシーンや甘いムードのシーンがかなり撮影されていたようなのだが、本編を見るとそのほとんどが残念ながらカットされたことが分かる。
私がこの記事に載せている写真も、本編にはない。個人的には物足りなさも感じるけれど、あえてストイックな編集をしたことで、最後に結ばれるあの遠景ショットが、より深くしみるように活きたのかもしれない。
フィリッパとフィリッポ。名前がそっくりな上に偶然にも誕生日も一緒。(年はフィリッパのほうがはるかに上だけど)
運命の不思議な出逢いをここまで衒いなく描ききった
トム・ティクバ監督は、
「ラン・ローラ・ラン」をヒットさせた人。テイストのまるで違う作品だが、立ちふさがる運命に自ら挑んでいく主人公達の潔さは、どこか通じるものがあるかもしれない。
「ヘヴン」は
、「トリコロール」3部作で有名な
クシシュトフ・キェシロフスキ監督の遺稿を映画化したものだが、運命というもののの不可思議さ、不条理さ、神秘を好んだキェシロフスキ作品を、ティクバ監督はまるで乗り移ったかのように見事に、そして彼なりの大胆なアレンジを加えて映像化してくれた。
映画は冒頭、フィリッポが飛行訓練のシュミレーション演習をしているシーンから始まるが、このオープニングは、映画のラストへの伏線にもなっている。物語が終わり、画面が暗転したあとに、
「HEAVEN」のタイトルが現れたとき、思わず細く長い息をひとつ漏らしてしまった。
青い青い空の向こうに消えて行く小さな点。そう、まさに「HEAVEN」が二人を包んでくれるよう、心から願わずにはいられない。
★今日のおまけ★
「ギフト」の
ジョヴァンニくん。共演の
キアヌや
ヒラリー・スワンク、
ケイティ・ホームズもろもろ、誰もがジョヴァンニくんの怪演の前ではかすんで見えます。
尚、この方、日本では苗字の表記がまだ確定されていないようで、「リビシー」とか「リビッジ」とか「リビシ」とか数パターンあるようです。ここでは、「ヘヴン」のDVDパッケージでの表記どうり、「リビージ」としています。(そういえば昔スティーブ・ブシェーミも
ブスケミとか表記されてたんだよなぁ)