直木賞受賞で話題となった、
桜庭一樹の
「私の男」。
男性のような名前だけれど、30代の女性作家なんですね。自分と同年代の女性が、こんなすごいものを書いたのかとある種の衝撃を受けてしまいました。
9歳のとき、北海道奥尻島の震災で孤児となった
花。彼女を引き取り、養父となる16歳年上の親戚の男、
淳悟。物語は、花が24歳で結婚し、淳悟の元を去っていく現代を描いた第1章から始まり、章が進むごとに時代を遡り、最終章は二人が出会った1993年で幕を閉じる、普通とは逆のストーリー展開になっています。
そして章ごとに、語り手が変わるのも特徴です。花自身が語り手のときもあれば、淳悟が語り手のときもあり、また花の結婚相手や惇悟の昔の恋人が語る章もあります。語り手の目線が変わることで、花と淳悟の関係や人物像も少しずつ違って見えてきて、とてもせつなくて美しく見えるときもあれば、グロテスクで気味の悪い異形の情愛にも見えたりして、「真実」というものの掴み所のなさも浮き彫りになるようです。

あちこちの書評などでおおまかな概要を見聞きしたときは、養父と娘の禁断の関係、といういかにもセンセーショナルな内容に、興味とちょっぴりの嫌悪感を感じて、「一体どんな物語なんだろう」と微かな不安を感じていました。
第一章から読み始めてみると、意外なほど静かな筆致と淡々と物悲しげな描写で、そこには花と淳悟の別れが描かれていました。
物語が始まってすぐ、二人が親子という関係を超えた男女の仲だというのは分かります。そして暗い秘密を共有していて、互いに罪を庇いあうように、歪んだ愛で繋がりあって生きてきたということも。
けれどもまだ第一章の段階では、この二人に一体どれだけの複雑な思いと絆があるのか、いまいちピンときません。どこか退廃的な文章に、読者である私はまだ距離感を感じていて、主人公二人に感情移入ができずにいました。
ところが章を読み進めていくうちに、花と淳悟の繋がりの深さと逃れられない宿命の重さに、だんだん心が引っ張られていきます。特に、花が高校生の頃を描いた第3章、第4章は、二人の関係がより生々しく描かれるために、それなりに読む側にも覚悟のようなものが要るかもしれません。良識や道徳を重んじる人は、この小説を読まないほうがいいと思います(笑)。
特に第4章は、圧巻です。ある事件が起きるのですが、常に静けさをたたえながら、怖いくらいの迫力でこちらの心を鷲摑みにしてくるような力があります。ここでの花は、ただひとつ自分が必要としているものを守るためだけに、恐ろしいほど無垢になるのです。無垢ゆえに、鬼になる、とでも言うのか・・・。
花と淳悟に共感できるかというと難しいし、仮に自分が同じ立場に立っても、こういう行動は絶対しないと思います。だけど二人を否定できない。だから読んでいて悲しい。「間違っている」と分かっていながら、この二人の場合そうするしかなかったのかな・・・という説得力もまた、感じてしまうのです。第4章の最後の3行、まだ15歳の幼い花の、女としての呟きに、何故だか涙が出てきてしまいました。
物語はどんどん進んで、最後の第6章で花は9歳、淳悟は25歳まで遡ります。ここまで読むと、この二人が背負った宿命、お互いだけを自分の分身のように生きることになった理由のようなものが分かってきます。
淳悟の行動は人として許されることではないし、そういう意味で、この小説は限りなくタブーぎりぎりのラインに位置していると思います。こういう内容は小説でも映画でも使い古されたテーマではあるけれど、それでもこの作品が賞を受賞したということに驚きを感じるし、凄いことだと思いました。
実際、この作品に嫌悪感抱く人も結構多いと思いますよ、本当に。「気持ち悪い」って酷評してる方もいますしね。誰にでも「読んで読んで」って勧められるタイプの小説じゃないです(笑)。でも、私は心を強く持っていかれました。汚れていて、不気味で、歪んでいて狂っていて、でもどうしようもなく痛々しい愛のかたち。
一番最後の一行、やはり花の呟きで終わるんですが、その一行を読んだとき、ワーッと涙が溢れ出てしまいました。なんだかたまらなくなって。
不思議なことに、ラストを読み終えると、あんまりせつなくて心が痛くて、また冒頭に戻って読み直して確かめたくなってしまうのです。一回目にまっさらな状態でストーリーを追いながら読んだときと、最後まで読み終わってまた二度目に読み直したときでは、感じ方にかなり差が出てくる小説かもしれません。または、第6章から順番に、時系列順に読みなおしていくのも分かりやすくていいかも。
いろんな書評を読んでいると、先が気になって一気に読んでしまったという方も多いようですが、私はとてもとても、一気になんて読めませんでした(笑)。少しずつ読んで、そのまとわりつくような暗くて重い情愛に「ふう」と吐息を漏らしつつ、ゆっくり噛みしめて時間をかけて読みました。
サラッとした文体に騙されて、サラッと読んではいけない小説です。胸にきます。美味しくはないかもしれません。でも、「愛」というものに対して貪欲で柔軟な人なら、じわりじわりと心を持っていかれます、きっと。
ああ、花と淳悟はこれからどうやって生きていくんだろう・・・。
ちなみに・・・淳悟という男、背がすごく高くて痩せていて、貧乏臭いのに落ちぶれた貴族のような優雅さがあって、気まぐれでちょっと乱暴で、でも繊細。私の頭の中に浮かんだイメージは、若い頃のトヨエツみたいな感じでした(笑)。これ映像化されるかなぁ、難しいかもなぁ・・・。