がっつり重たいテーマの本や、分厚いミステリーをどうも読む気にならず、夏の暑さとともに無気力さが増していたこの数週間(笑)。
なんかサラッと涼しく読めて、かつ心に染みる本(それもあんまり厚くない文庫)はないかねぇ~~と思い、ブラブラしていた書店で見つけたのが、
蓮見圭一氏の小説
「水曜の朝、午前三時」。
私の買った文庫の帯にはこんなコピーが書かれている。
「こんな恋愛小説を待ち焦がれていた。わたしは、飛行機のなかで、涙がとまらなくなった・・・」by児玉清。
「アタックチャ~ンス!」の児玉さんを号泣させた恋愛小説・・・。そうかそうか、これこそ今の私が読むべきものかもしれないわ。そう思い、手にとってみた。はたして・・・。
《45歳の若さで脳腫瘍で亡くなった翻訳家で詩人の直美。彼女は病床で、娘に宛てた4巻の肉声のテープを残していた。そこには、かつて若かりし頃、1970年の大阪万博を舞台に芽生えた直美の運命的な恋とその行く末が切々と語られており、彼女が失ったもう一つの人生への思いが刻まれていた・・・。》
ものすごく大雑把に言うと、あらすじはこんな感じでしょうか。
読み終わったときの私の感想は児玉清さんと同じではなかったけれど(笑)、ひたひたと胸に染みてくるような、透明感があるのに生々しいせつなさに彩られた(しかもちょっと苦い)素敵な作品だった。
これは好き嫌いが分かれるような気がするし、見方によっては「透かした」ロマンティシズムと感じる人もいるかもしれない。でも、主人公
直美の告白調で語られる、瑞々しくも痛々しい「恋」の記憶は、それがいいか悪いかは別にしても、思いの強さともろさ、意志とは裏腹の奥深さが感じられて、私はとても共感するものがあった。
直美の娘婿で、かつて直美に憧れていた
「僕」が、このテープを紹介するという形で物語は幕を開ける。面白いのは、「僕」から見た記憶のなかの直美像は、あくまで個性的でちょっと不良で、ひどく頭のいい大人の女であり、黒ブチ眼鏡に栗色のショートヘアで、昼間からウイスキーでほろ酔いになりながらジョニ・ミッチェルを口ずさむ、そんな姿が描写される。れどもその後に続く直美自身の告白テープから思い起こされる直美本人は、たしかに小生意気なほど利口で自信に満ちた女でありながら、もっと不器用で愚直で必死で、一つの恋に人生をかけた、弱さを存分に持ち合わせた女に見えてくる。私は直美本人が語る彼女のほうが、その言い分に100%同意できないにしても、何倍も好きだ。
他人から見たイメージと、本人が思っている自分の姿にはギャップがあって当然だけれど、そのどちらもウソではなくて、きっとどちらもその人を形作る要素のかけらなんだろうなぁと思ったりする。
直美は学生時代は優等生で、親の言いつけを守って生きてきた。しかも親の決めた許婚までいるのだ。そんな少女時代と決別し逃れるかのように、両親の反対を押し切って大阪万博のコンパニオン(ここではホステスと呼ばれる)の仕事を得る。高度成長期の真っ只中の日本、キラキラして貪欲で希望に満ちていた当時の日本の理想郷のような万博会場で、生き生きと働く選ばれた若者たち。そこで直美は一生に一度の運命の人、
臼井に出会い恋に落ちる。
ライバルが現れたり、噂話に傷ついて涙したり、直美の恋は特別でもなんでもなく、誰にでも経験のあるせつなさと真っ直ぐさでいっぱいだ。ありふれた恋なのに、本人にとっては人生がひっくり返るほど特別で、自分だけがこれほどの幸福を享受しているかのような喜びに呑み込まれる。そんな若い恋の眩い記憶が、45歳の直美の口からとても素直に包み隠さず語られることで、返って瑞々しさと物悲しさが増す。
そしてそれほど大切だった恋を、突然手放すことになるきっかけとなった、ある「事実」。その後の直美の選択は、時代を考えれば仕方なかったのかもしれないと思いつつ、同じ女性として共感できる気持ちと、私ならそうしないという反発が入り乱れる。直美自身は、自分の選択は決して間違いだったわけではなく、別の幸せを授かったものの、本当に大切なものを自ら手放してしまったという喪失感を抱えたまま、後の20年を生き続けることになる。
人生の分かれ目って誰にでもあるものだろうし、こっちの道とあっちの道、どちらを選ぶのが正しいかなんて、数学のように「答え」があるものではないと思う。どちらを選ぶにしろ、それは自分の人生であり、選んだなりの何かが見つかるはず。それでも後になって、「あの時もし別の道を選んでいたら」と後悔する人は少なからずいるはずだし、そういう後悔を抱きながら日常を送ることが愚かだとも不幸だとも私は思わない。すべてが予定通りにパズルのようにピタッとうまく嵌り、噛み合わせの良い人生なんて絵空事だとすら思う。本当は誰もが、多かれ少なかれ噛み合わせの悪さやしこりを隠し持ちながら、それでも自分を納得させて人生を受け入れていくのが、本当の人間らしさのように思う。そしてその噛み合わせの悪さから生まれる、新たな幸福が必ずあるのも人生の醍醐味なのかもしれない。
直美の生き方を見ていると、まさにそういう「人生」の噛み合わせについて考えさせられるような気がする。彼女の選択は間違っていたのではなく、それが彼女の進んだ道だったというだけのことだ。そしてその人生をまっとうして、45歳で散っていったこともひっくるめて、直美という人の生き方は彼女なりの一つのスタイルなのだと思う。
けれども、私がこの小説を読んで一番感じたのは、障害だとか周囲の状況だとか、理屈や常識に捕らわれて自分の心から逃げてしまうことよりも、結果がどうであろうと自分の本心、心の声に正直に生きて、「思い」をまっとうすることが一番大事なんじゃないかということだ。スマートな生き方じゃなくても、人にどう言われようとも、一番大切なのは自分の心に正直になること。そしてその思いを貫くこと。
「好き」だという気持ちに嘘をつくこと、逃げてしまうことは、一番不幸なことなのかもしれない。この小説を読んでいたら、そんなシンプルなことをふと思った。きっと直美自身、そのことを痛いほど感じていたはず。だから一つの幸福を授かりながらも、人生を通してかつての恋を追い続けていたのだと思う。
直美が愛した男、臼井という人物がなかなか素敵。つかみどころのない、クールで理知的な男なんだけど、意外に情熱家でストレート。なんたって小説の終盤で、直美の娘婿が50代の臼井を評して
「学者のようにも見えるし、床屋から出てきたエアロスミスのメンバーのようにも見える」と語るのだ。うーん、結構かっこいいかも。
静かな気持ちで恋愛についてちょっと考えて振り返ってみたい、そんなときにオススメの一冊。でも、いまどきの若者にはちょっと分かりにくいかな。
あと、やっぱりちょっと一種の特権階級というか、エリートや家柄のいい人たちの物語と言えなくもないので、そのへんは差し引いて読まないと微妙かもしれません(笑)。