トム・クルーズが最近イッちゃってるらしい。と言うより発言が物議をかもしてるらしい。例の不思議な宗教の影響なんだろうか。別に何を信じようと自由だけどね。
トラボルタもお仲間よね。そういえばトム・クルーズとトラボルタの二カッと笑う笑顔って、なんか似てる気がする。
さて、今回とりあげるのは、その昔おかしな宗教にハマッたことがあったけれど、抜け出すことができて良かったわ、とカミングアウトしたことがある
ミシェル・ファイファーの代表作です。
「恋のゆくえ the fabulous baker boys」 1989年の作品。
シアトルの安っぽいナイトクラブでピアノを弾いて生計を立てる
フランク(ボー・ブリッジス)と
ジャック(ジェフ・ブリッジス)の
ベイカー兄弟。才能はあるが、口数も少なく人を寄せ付けない、どこか厭世的な弟ジャックと、才能では弟に敵わないが、几帳面でマネージメント能力のある兄フランク。ろくにピアノなど聴いていないしらけた客たちの前で、夜な夜なワンパターンの演奏を繰り返す毎日。そんな冴えない生活を一新しようと、兄弟デュオは女性ボーカルを迎え入れることにする。選ばれたのは
スージー・ダイアモンド(ミシェル・ファイファー)。はすっ葉で遅刻魔でガサツ。けれども不思議と人を惹き付ける歌声の持ち主のスージー。彼女が加入したことで彼らのステージは評判を呼び、一躍人気グループとなり、一流ホテルに招待されるまでになる。けれども、ジャックとスージーが惹かれあうにつれ、3人の歯車が狂いだして行く・・・。
まず本題に入る前に。今回見直していたら、ナイトクラブの嫌味なマネージャー役で、
「ガタカ」の検査技師のザンダー・バークレーが出ていた!びっくりした。それからこれは書かずにはいられない、
ジェニファー・ティリー!あんたサイコー!!そのひどい歌、ひどいダンス、白いタイツ!個人的に助演女優賞をあげたいくらいだ。
さて、ここからはマジメに書きたいと思う。
「恋のゆくえ」というタイトルは、響きはいいけれどこの映画の内容には合っていないと思う。他になかったのだろうか。原題のとおり、これは
ベイカー兄弟の物語だ。長年マンネリ化しつつもお互い依存しあって狭い世界で生きてきたベイカー兄弟の前に、たった一人の女が現れ恋がからんだために、それまでのバランスが崩れ、ぶつかり、やがてそれぞれが自立していく物語だ。
ジャックは才能を試すことを恐れ、不平を言いつつ、兄の庇護から抜け出ることができず、世をすねたまま中年になってしまったような男だ(でも女にもてる)。そしてスージーの出現によって、今まで自分をごまかして生きてきたことを思い知らされる。スージーは挫折をいくつもくぐり抜けてきた孤独な女で、だからこそジャックの弱さを見抜く目を持っている。そしてフランクもまた、弟を守っているのは自分だという自負がありながら、本当は弟が離れていくことを何よりも恐れている、保守的な男だ。
私がこの映画を見たのはまだ学生の時で、ほんのコドモだった。だからジャックとスージーがお互い惹かれあいながらも、それぞれの生き方を曲げられずにぶつかって、安易にハッピーエンドに流されない展開が正直ちゃんと理解できなかった。「オトナって複雑なんだなー」と、けだるくてかっこいいムードにホーッとため息をついていただけかもしれない。
何年もたって、私自身がそれなりの年を重ね、それなりの挫折も経験し、少し物事が見えるようになったとき、この映画を改めて見直してみた。そしてこの映画が語ろうとしていたことが初めて鮮やかに見えた気がした。
このころのミシェル・ファイファーは、まさに旬の人で、たぶん当時一番イイ女の代名詞だったと思う。ブロンドの髪に真紅のドレスで、ジェフ・ブリッジスの弾くピアノの上で身をくねらせて歌うシーンは、この映画の最大の見所だ。(マドンナが自分のライブであのシーンの真似をしたとか。見てないからなんともいえないが、あれを下品にならないギリギリのところで魅せることができたのは、ミシェル・ファイファーだったからに違いないんだけどな。)ミシェルはどちらかと言うと「静」のイメージが強い女優だったので、この映画の彼女は強烈にかっこよかった。
そしてなんといってもジェフ・ブリッジスでしょう。むっつりして斜にかまえてて、なのに妙に色気がある。そして人生にくたびれている。大体こういう男はもてるよね。
物語のラスト、決定的な亀裂が生じたベイカー兄弟は、デュオを解消することになる。別れ際、子供時代に使っていたおもちゃのようなピアノに向き合い、おもむろに歌い出だすジャックとフランク。二人が一緒に演奏してきた中で、この別れのときが一番生き生きとして楽しそうだったのが、なんともほろ苦くてせつない。
そして恋愛がからむ映画で、ラストシーンがこれほどビターな映画も珍しいのではないか。ジャックとスージーがこの先どうなるのか、映画は教えてくれない。ただ、きっとまた二人は会えると、希望を持たずにはいられないラストだ。
ミシェル・ファイファーの歌は、正直さほど上手いとは言えない。声量がなくてパンチに欠けるし、ウィスパーボイスというほどの怪しさもない。けれどもエンドクレジットで流れる
「MY FUNNY VALENTINE」の歌声には、私は毎度泣かされる。これからあの3人が、不器用に精一杯もがきながら生きていくことを想像しながら、いつもこの歌声に涙腺を刺激されてしまうのだ。